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宇都宮地方裁判所 平成8年(ワ)311号 判決 1999年3月17日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成八年七月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件の概況

本件は、弁護士である被告が、原告の身上等が記載された家事調停申立書の控えを、原告とは全く関係のない当事者間の保全事件の疎明資料として裁判所に提出したことにつき、原告が、被告に対し、プライバシーを侵害され、精神的肉体的苦痛を被ったとして、慰謝料を請求している事案である。

二  争点

1  プライバシー侵害の有無

(原告の主張)

個人の私生活の内容について理由なく介入し、あるいはみだりに公開することは、いわゆるプライバシーの侵害として不法行為を構成する。これは、侵害者が弁護士である場合でも同様である。原告の身上経歴及び同人の子が特別養子であることなどは、他人に知られていない私生活上の重要な事項であり、一般人の感受性を基準とすれば、公開を欲しないであろうと認められるものであるから、右事項は原告のプライバシーとして保護されるべきものである。被告は、右事項が記載された家事調停申立書の控え(水戸家庭裁判所下妻支部平成六年(家イ)第二四七号事件の申立書の控え。以下「本件文書」という。)を原告とは全く関係のない当事者間の保全事件の疎明資料として裁判所に提出し、原告のプライバシーに関わる事項を公表した。

よって、被告の行為は、原告のプライバシーを侵害するものである。

(被告の主張)

原告の身上経歴や同人の子が特別養子であることなど、本件文書に記載された事項の主要部分は、原告の戸籍謄本等に記載があるものである。また、本件文書は、裁判官の求めに応じ、保全事件の疎明資料として提出されたものであり、利害関係を有する者以外には閲覧が許されず(平成八年改正前の民事保全法(以下「民事保全法」という。)五条一項)、裁判所のキャビネットの奥深く保管されるため、他人の目に触れることはないものである。保全事件の債務者は、本件文書を閲覧・謄写することができるものの、それは同人の閲覧権の行使という積極的行為によって可能となるに過ぎない。

したがって、被告の行為は、原告のプライバシーを侵害するものとはいえない。

2  正当業務行為として違法性が阻却されるか否か

(原告の主張)

民事保全法は、「保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない」(一三条二項)としているが、保全命令に対する債務者の救済手続の存在を疎明することまで要求しているとは考えられず、被告が右目的で本件文書を疎明資料として提出したことにつき、その必要性を認めることはできない。にもかかわらず、被告は、相当な注意を払えば原告の権利を侵害する行為であることを認識し得たのに、漫然と、本件文書を無修正で裁判所に提出した。

よって、被告の行為は、弁護士としての正当な職務の範囲を逸脱する違法なものである。

(被告の主張)

被告は、弁護士としての訴訟活動の一環として、自己が代理人として申し立てた保全事件について、親族間の紛争であるにもかかわらず債務者を審尋することなく無担保で面談等禁止の仮処分命令がなされた裁判例があり、また、仮処分命令がなされても債務者が債権者を相手に家事調停を申し立てる方法により自己の主張を実現し得ることを疎明するため、本件文書を裁判所に提出したものであり、右疎明の必要があったことはもとより、右疎明のためには仮処分命令及び本件文書の当事者が同一であることを示す必要があった。

したがって、被告の行為は、弁護士業務の一環として行われた正当な業務行為であり、違法性を帯びることはない。

第三  当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実に証拠(甲三ないし五、一二、一八、二〇、乙二四、二六、三〇、原告、被告)を総合すると、以下の事実が認められる。

1  被告は、肩書住居地で、弁護士業務を行っている者である。

2  原告は、平成六年六月二四日、水戸地方裁判所下妻支部に、丙野一郎(以下「一郎」という。)及び甲山二郎を債務者とする不作為(不動産の移転を要求する面会の禁止)を求める仮処分(同支部平成六年(ヨ)第五五号事件。以下「五五号事件」という。)の申立てをし、同支部は、同月三〇日、右申立てを認容する決定をした。

3  被告は、一郎から右仮処分を受けたことについて相談を受け、一郎と原告が話し合いをする場を設けるため、一郎の代理人として、同年八月一二日、水戸家庭裁判所下妻支部に、原告及び同人の子である丙野夏子(以下「夏子」という。)を相手方とする家事調停(同支部平成六年(家イ)第二四七号事件)の申立てをした。

4  また、被告は、同年九月二六日、丁野三郎、秋子夫妻(以下「丁野夫妻」という。)から、丁野四郎(以下「四郎」という。)に嫌がらせをされて困っているとの相談を受け、同年一〇月一二日、丁野夫妻の代理人として、宇都宮地方裁判所に、四郎を債務者とする面談等強要禁止の仮処分(同裁判所平成六年(ヨ)第二一七号事件。以下「二一七号事件」という。)の申立てをした。

5  被告は、右仮処分が債務者審尋をすることなく早期に発令されることを望んでいたが、同月一三日、担当裁判官と面接をした際、債務者審尋をする予定であることを告げられたため、無審尋での発令を求め、事案の説明や同種事案で無審尋で発令された例もあることなどを伝えたところ、裁判官から右事項について疎明するように求められた。

6  そこで、被告は、五五号事件の仮処分決定書の写し及び本件文書を添付した報告書を作成し、疎明資料として裁判所に提出した。

7  本件文書には、原告及びその親族の氏名、本籍、住所、生年月日のほか、原告の夫が在日韓国人の子であること、夏子が特別養子であること、祭祀承継者や不動産に関し親族間で紛争が生じていることが記載されていた。

8  同裁判所は、被告から右報告書の提出を受けると、債務者審尋をすることなく、同月一四日、被告の申立てを認容する決定をした。

二  以上の認定事実を前提として、本件を検討する。

1  本件で問題とされている他人に知られたくない私生活上の事実・情報をみだりに公開されない利益(プライバシーの権利)は、憲法一三条によって保障される人格的生存に不可欠な利益の一つとして、法的保護の対象となるものと解するのが相当である。

2  ところで、前記認定のとおり、本件文書には、原告及びその親族の氏名、本籍、住所、生年月日のほか、原告の夫が在日韓国人の子であること、原告の子である夏子が特別養子であること、祭祀承継者や不動産に関し親族間で紛争が生じていることが記載されていたところ、右事項のうち、原告及びその親族の氏名、生年月日はともかく、その余の事項は、一般人の感受性を基準とすれば、いずれも他人に知られたくない事項というべきであり、原告のプライバシーに属する事項と認められる。したがって、右事項が記載された本件文書をみだりに公開した場合には、プライバシー侵害の問題が生じることとなる。

3  しかしながら、前記認定のとおり、被告は、本件文書を保全事件の疎明資料として裁判所に提出したに過ぎないところ、保全事件の記録は利害関係を有する者しか閲覧・謄写することができず(民事保全法五条一項)、利害関係を有する者を通じて一般公衆に本件文書に記載された情報が伝達される可能性のあることは否定できないものの、一般に利害関係を有する者は保全事件の債権者及び債務者など少数かつ特定の者に限られることに照らせば、被告の行為によって、本件文書に記載された原告のプライバシーに属する事項が公開されたと認めることはできないというべきである(なお、本件では、二一七号事件の債務者である四郎が、本件文書を閲覧・謄写した上、原告に接触していることが認められるが、右行為によって原告が精神的苦痛を被ったのであれば、それは、原告と四郎との間の問題として捉えるべきものである。)。

4  したがって、本件文書を二一七号事件の疎明資料として裁判所に提出した被告の行為はその当否はともかく、原告のプライバシー権を侵害する違法なものということはできない(なお、原告は、本件で保護されるべき利益は、弁護士法二三条にいう「秘密」、然らずとすれば人格権としての「プライバシー」と主張するが、結局のところ、原告のプライバシーを本件の被侵害利益と主張するに尽きるものと解される。)。

第四  結論

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は失当としてこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

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